5時過ぎ客室からの富士山。
山中湖は霧に蓋をされていた。
7月30日(月)
この夏の旅行は、Hiroの希望で富士登山となった。
3-4か月も前に天気の予測はできないため、高山病予防のため山小屋(富士山では山室と呼ばれる)で1泊し、予備日を設けて万全を期した。
北海道から富士登山に来て、登れずに観光旅行で終わるのは避けたかった。
7時ビュッフェでの朝食。
これだけ食べれば、山で食べなくても大丈夫(笑)
実際、山小屋が多いのでパンしか持って行かなかった。
朝食後、あまりにも富士がきれいなので、ホテルの庭に降りてみた。
広大なリゾートホテル。
お気に入りの宿になりました。
チェックアウトして富士宮口へ向かった。
マイカー規制のため水ヶ塚駐車場にレンタカーを停める。
駐車料金は1回1000円で、翌日でも追加料金は不要。
富士の全貌が姿を見せてくれて、気分は否が応でも高揚した。
シャトルバス往復1800円、こちらは復路3日以内が有効期限だ。
吉田口(北)、須走口(東)も同様の規制が設けられ、7月10日から9月10日まで車の乗り入れができない。
4つの登山口のうち、御殿場口(南東)は標高が低いため規制がない。
9時のシャトルバスに乗ったため、9時39分登山開始。
ちなみに南の富士宮口を選んだのもHiroだ。
天気に恵まれ、汗をかかないようにゆっくり歩いた。
34年前に私は富士吉田口から弾丸登山で、山頂まで3時間あまり。山頂火口を回り須走口へ降りて登り返して富士吉田口へ降りた。
9時59分六合目雲海荘に到着。雨天に対応出来るように、ここが今宵の宿である。傘をさしてでも上り下りできる所でHiroの高度順応を計画した。
2500m下の駿河湾が雲の間に見えていた。この標高差の展望は北海道では得られない。
富士宮ルート。若い時ならためらわず登ったけど、今回は親子登山。90度右へ向かった。
1704年噴火した宝永火口から右端の宝永山。このルートはプリンスルートと呼ばれ、平成20年8月皇太子が富士宮口から御殿場ルートを繋いで登った。
一旦火口へ少し降りる。富士の中腹に開いた火口(寄生火山)。江戸時代の噴火と、その後の災害(飢饉)に思いをはせた。
火口は300年の時を経て静まり返っている。そろそろ、富士山の噴火があってもおかしくない。御嶽山の噴火後、登山のリスクは覚悟している。須走の砂走の様な砂礫に足を取られることが注意点だ(足を取られると体力消耗する)
宝永山2693mから火口と富士山頂を望む。宝永火口側から見る富士は、他とは違った趣がある。好天に、このままプリンスルートで登頂したい気分だ。
南を向くと、海岸線まで高度差2700m。どこかの山の山頂みたいな風景だ。
馬の背から御殿場ルート(右側)、左の小屋は富士宮ルート八合目。八合目を繋いで、宝永火口を周回したいが、気温が20℃近く汗をかくと着替えなければならない。
富士山の天気は変わりやすい。どんどん雲が沸き上がってきた。この日は雷雨が降ることもなく、最高の天気だった。
宝永山馬の背、御殿場口六合目に向かうプリンスルートを取らず、11時34分富士宮口六合目へ下山した。
宝永火口を見下ろす。砂走の様な砂礫は下りは楽だ。須走ルートでは下山道は砂で登りは岩の道だった。
火口で昼食。お腹が空いていないので、パンを2個食べた。4個入りのレーズンパン2袋が行動食だ。
六合目雲海荘には、歓迎、北海道 村上様と一番上に。5月に予約したから一番上なのか、一番遠いからか。まだ早いので、ビールを飲んで外で休憩した。
山小屋に入っても勿体ない天気なので、外で駿河湾を眺め続けた。2時間ほど、のんびり過ごした。
15時に山小屋に入った。二人で仕切られたスペースをあてがわれた。屋根裏で気温が高い(日差しで熱せられ暑い)。
18時前に夕食。カレーとサラダ。水が貴重なので使い捨て容器だ。朝食の弁当を受け取った。
富士山のトイレは1回200円が必要。宿泊者は鍵を持って行き、自由に使える。
雲海荘のトイレはドアの鍵が機械式で、200円を入れると鍵が開く。出る時は中のボタンを押すと鍵が開く仕組みだった。
明朝は4時過ぎ出発と決めて早めに横になった。子供が興奮して、なかなか喋って寝ないため、声が聞こえて眠れず。
日が沈んでも暑く、寝付いたのは22時前、目覚めたのは2時過ぎだった。山小屋では睡眠は期待せず、体を休めることのみを目的とすることにしている。長い準備期間を経た計画だが、いよいよ核心部に。