様似の海岸から朝陽を浴びるアポイ岳。
日高町唯一の避難指示が残る自宅を5時過ぎに出発した。
避難指示が出されると避難所で過ごすのが原則だが、避難しなくても罰則はない。
避難せずに何かあれば非難され、公的補償が受けられなくなる。
大学受験を控えた娘のため避難先の日高の医師住宅から、9月11日自宅に帰した。
先週は山に行けず、足慣らしハイキングにアポイへ向かった。
門別のセブンも、商品が入り始めた。
それでも、三分の一に満たない品揃えで買い出し。
日高路を震源から遠ざかり、様似のビーチは晴れていた。
今回は津波が無くて、不幸中の幸い。
朝食後、アポイ山荘で用を足した。
日高では桜は紅葉して散り始めているが、海岸線は紅葉が遅い。
蒸し暑くて、紅葉からほど遠い気温。
「足慣らし」のため、ゆっくりヘタレ歩行。
すっかり曇った五合目の小屋で休憩。
雨が降らなかったから、良しとしよう。
ここで、道南からの登山者を抜き、先行した。
馬ノ背から山頂を望むいつもの写真。
雲って展望が今一つ。
陽射しが無くても、溶けるほど暑い(23℃)。
景色が無ければ、花を楽しもう!
北海道の固有種「ヒダカミセバヤ」ベンケイソウ科。
この時期の花に注目しなかったため、初めて写真に。
ダイモンジソウ、これは沢沿いの岩場によく見る。
まだ咲き残っていた。
花に気を取られて歩いていると山頂に一番乗り(9時21分)。
ゆっくり登ったので2時間15分。
もうgenさんと山に行くことは無さそうなので、タイムを気にする事はやめた。
彼なら1時間余りだろうけど、ヘタレ歩行が性に合っている。
風がほとんど無く、日高山脈の展望も無い。
水分補給して下山開始した。
幌満方向の展望。
山頂を少し下った、いつもの場所で。
様似のビーチは見えていた。
キク。下界の雑草かな?
汗を滴らせながらも、のんびりと散策した。
11時11分駐車場に戻り、アポイ山荘で汗を流した。
帰宅して程なく14時、避難指示解除の防災放送が流された。
9月9日避難勧告が避難指示に。
この斜面が崩れるかどうか、15日早朝散歩兼検分に出かけた。
亀裂部に雨が入らない様ブルーシートがかけられ、地割れか球場の構造物による影響か分からない。
この「人工的」形状の地割れは、球場のライトの影響か。
崩れれば、巨大なライトで二次被害が想定される。
地割れの計測器と思われる。GPSか?
我が家から球場のライトを見上げる。
あれが全部崩れても、影響は少なそうだ。
ナイターの出来る球場で、眩しくて天体観測が出来ない。
15日球場のライトの撤去作業が始まった\(^O^)/
私の考えが正しいかどうかは分からないが。
避難指示が解除された16日14時過ぎ。
これで、少なくとも「二次災害」は防げる。
厚真の被害を反面教師とすれば、震度7で崩れる様な所に公共施設を作るべきでは無い。
ここの斜面は、日高中学の斜面の斜度より緩やかである。
もとより、地盤の強固な日高と、炭泥地の富川では対応は変わってくる。
日高本線に面した住宅地であるが、富川西との段差が問題となった。
富川西の断水はまだ続いている。
「胆振東部」地震だが、隣接した日高西部の被害も震度6弱相当と実感した。